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築220年の古民家「他郷阿部家」で味わう、復古創新の豊かな暮らし

古民家を再生させた宿泊施設「他郷阿部家」

日本に伝わる「古き良きもの」を今後も守っていこうという動きは各地に見られます。それだけ、「失われつつあるもの」が増えている証拠かもしれません。すでに取り戻せないものも多々あるし、今ならかろうじて間に合うこともある。古民家再生も、そのひとつでしょう。今回ご紹介する「他郷阿部家」は築220年の武家屋敷を見事に再生させた宿泊施設。でも、ここがすばらしいのはただ「古いから」ではありません。新しいものも柔軟に取り入れながら、丁寧に、美しく、ひとつひとつ創り上げていく暮らしのかたち。静謐でいながら、じつにイキイキとしたここでの暮らしに触れることは、きっと私たちの日常にも少なからぬ変化をもたらしてくれるでしょう。


他郷阿部家は島根県大田市大森町、通称「石見銀山」にあります。鉱山遺跡と文化的背景が評価され、2007年に世界遺産に登録された地域です。他郷阿部家を営む松場登美(まつば とみ)さんが大森町に嫁いだのは30年近く前。誰一人として、この地が有名になるなんて想像さえしなかった時代でした。

他郷阿部家の台所にて、松場登美さんとお孫さん。登美さんは、1989年に雑貨ブランドを立ち上げ、築200年の古民家を修復して店舗にしたのを機に、数軒の古民家を再生して地域住民の交流の場としてきました。98年には石見銀山生活文化研究所を設立して「群言堂」を立ち上げ、商品の企画・製造販売に着手。そのかたわら、阿部家で暮らしつつ宿泊客を受け入れています。

若き日の登美さんと夫・大吉さんは、ハギレを使ったパッチワークの袋物をワゴン車で売る、というささやかな商売を始めます。やがてそれは「群言堂」というブランドに成長。日本各地の織り染めの技術を活かし、糸1本にまでこだわって、布地から手作りされる群言堂の商品は、速さや新しさを追い求めてめまぐるしく変化する他ブランドとは全く違った深い味わいを持ち、全国に根強いファンを増やしていきました。今では石見銀山本店のほか、上野桜木店高尾駅店、各地の有名デパートにも売り場を構え、今年は西荻窪にRe:gendo(りげんどう)を構えるに至っています。

古民家の再生を手がける!

登美さんの仕事は、「日本各地の職人技を活かしながら手間暇かけた商品を作り、売る」だけではありません。朽ち果てる寸前の古民家を買い取り、愛情と手間をかけ、再生させていくのです。群言堂の各店舗もそうだし、大森町の社員たちが勤める社屋もそう。もちろん、ここ他郷阿部家もそうやって命を吹き込まれてきたのです。「経済的に余裕があるから買い取れたのではなくて、まず買い取ろうと決めて、後からお金を工面してきました。夫婦そろって、古き良きものが廃れていくのは見過ごせない性分なんです」と登美さんが笑うように、他郷阿部家の建て直しも一筋縄ではいきませんでした。

阿部家の「蔵」。ここはほぼ昔のまま復元したそうですが、床は腐っていたので廃校になった小学校の床材を張りました。夜はこシアタールームになり、阿部家が再生されるまでのドラマティックな映像などを見せてもらうこともできます。初めてなのになつかしさを感じさせる空間です。

蔵の上は客用ベッドルーム。現代建築ではお目にかかれない巨大な手挽きの梁に目を奪われます。「照明器具は不要になった街灯を拾って付けたもの、ベッドサイドのテーブルは江戸時代の帳場の机、そして白いソファは娘が東京で拾ってきたものです。親が親なら子も子でしょう」と笑う登美さん。オリジナルの市松模様の畳も素敵!ぐっすり眠れる心地よいお部屋です。

他郷阿部家は1789年に創建された武家屋敷。1975年には県の文化財に指定されましたが、20年ほど空き家になっていたため、屋根も床も建具もボロボロ。「室内にまで草が生えて、お化け屋敷のようでした」。さまざまな縁が重なって登美さんたちがここを手にした後も、修復するまでに10年もの歳月を要しました。

阿部家の裏庭。ここにただ座っているだけでも気持ちよい時間が過ごせます。

阿部家は、松場夫妻にとって7軒目の古民家再生。いつものように、空間デザインは大吉さんが中心となって案を練り、地元の職人たちの手を借りながら、少しずつ直していきました。資金がないこともありましたが、「世の中が捨てたものを拾おう」というのが夫妻の方針。あえて非効率なことやものも大切にしながら、廃材と人々の手業、発想力などをうまく活かしつつ、死にかけていたお屋敷に新しい命を吹き込んだのです。

台所からお風呂に続く外通路の土塀は、拾いものを活かす達人・楫谷稔さんが修復したもの。何でもできる人、という尊敬の念を込めて「本物のお百姓さん」と登美さんが讃える楫谷さんの手仕事は、阿部家のあちこちに見られます。そのアイデアと器用さ、そして、楽しみながら作られたことが容易に想像できる素敵な仕上がりに、こちらまでうれしくなります。

「復古創新」をテーマに居心地の良い空間を!

最初は来客時にのみ使っていたそうですが、2008年に宿泊施設として営業を始める際、登美さん自身もここに住まいを移しました。それは、夫・大吉さんの「実際に住んで、そこにあなたの本当の暮らしがないと真実にはならないよ」という助言があったから。登美さんの本当の暮らし──ぞうきん掛けをしたり、破れた障子を素敵な和紙で直したり、季節の花を飾ったり、手紙を書いたり、竈に火をくべたり──そうした細やかな日々の手作業が、ここでは確かに感じられます。

「奥の間」に心地よい布団を敷き、宿泊客を迎えます。現代の家はどこもかしこも蛍光灯で煌々と照らしがちですが、夜の阿部家は心地いいほの暗さに包まれ、陰影の美しさが実感できました。

初めて訪れると迷子になりそうなくらい、広々とした空間。そのすべてに、手入れと気配りが行き届いています。前庭から玄関、仏間、次の間、奥の間、廊下、書斎、蔵、お手洗い、中庭、裏庭・・・どこへ行っても何を見ても調和が取れていて、「なんて居心地がいい場所だろう」としみじみ。

お風呂場がまた最高!もともとは納屋で、敷地内でも一番ボロボロだったそうですが、今や一番快適な場所のひとつ。木の湯船やすのこは大森に数年間暮らしたアメリカ人アーティスト・アレックスさんの作品、鉄製ストーブは大森に移住してきた彫刻家・吉田正純さんの手によるものです。和ろうそくの明かりだけで入る夜のお風呂も非常にすばらしいのですが、明るい日が差し込む朝の入浴も格別。「冬は冬で、ストーブに火を入れます。薪をくべ、上に置かれたサウナストーンに湯をかけると水蒸気がぶわーっ!と上がってサウナのようにホカホカですよ」

「私たちのテーマは、復古創新(ふっこそうしん)。古いものに固執するのではなく、いにしえの良きものをよみがえらせ、そのうえに新しい時代の良きものを創っていくことを大切にしています」と登美さんが語るように、阿部家も、ただ「古いから」いいのではありません。たとえば新しく買ったであろう道具も、買う前にひとつひとつ吟味され、買ってからもひと工夫がなされているに違いないのです。おかげで何ひとつとして「阿部家らしくないもの」はなく、だからこそ、こんなにも居心地がいい空間になっているのでしょう。

「心尽くし」とはこういうことだなと教えてくれる、阿部家の夕食。「かまどや囲炉裏を実際に使ってみると、昔の道具がじつはとても合理的だということがわかります。便利な道具が何でも揃うわけではありませんが、なければ知恵を働かせればいいのです」と登美さん。阿部家の若手スタッフ、峰山博気さん・大島明子さんも、知恵を駆使しながらさまざまな料理に挑戦中です。

地元の食材を使用した家庭料理を楽しむ!

阿部家の中心は台所。宿泊客はここに集い、地元の旬な素材を使った丁寧な家庭料理を、登美さんやスタッフのみなさんと一緒に楽しみます。この空間に居られるだけでもすばらしいのに、ここで味わう料理のおいしいことといったら・・・!手作りの黒ごま豆腐に始まり、野菜も肉も魚も、滋味にあふれて本当においしい。とくに圧巻は、竈で炊いたふっくらごはんの塩おにぎり。〆に出てくるのですでにお腹が満腹になりつつあり、1個か2個しかいただけないのがもったいないくらいです。

この日、食卓に並んだお料理。御品書きにあるように、続々とおいしいものが出てきます。

おいしい料理をにぎやかに囲むと、会話も弾みます。ニコニコ座っている登美さんを質問攻めにして楽しいお話をうかがうのも、宿泊客の楽しみ。「台所のテーブルは廃校になった小学校の階段の手すりをつなぎ合わせて、楫谷さんが作ったものです。側面を見ると手すりの穴があるし、表面もいい風情になっているでしょう?廃材には違いないですが、用を果たした後の美しさがあって、こういうおだやかな空気が私はとても好きなんですね」「この辺りは石州瓦の産地ですが、昔ながらの登り窯で作る工場は残念ながらひとつも残っていません。登り窯だからこそ出せていた微妙な色合いや質感が、もう出せなくなっています。いいものがどんどん廃れていく時代。私はそういう部分にこそ目を向けたいのです。モノを残さなければ、それに関わる職人も技術も残らないでしょう?」

ガラス瓶に入れた果実酒や乾物に、手書きのメモ。マネしたくなるアイデアが詰まった阿部家ですが、とくに台所は魅力がいっぱい。使い込まれた道具や食器が並び、日々おいしいごはんが作られる、幸せに満ちた場所です。

他郷阿部家の「他郷」とは、「人生にはいくつかの大きな喜びがある。その一つは、異郷の地で自分のふるさとに出合ったように、まるで実家のように迎えられたときだ」という意味を持つ中国の言葉「他郷遇故知」からもらったものだといいます。ここはまさに、そんな場所。一度訪れれば、きっとまた来たくなる。そして次回はきっと「こんにちは」ではなく「ただいま」と言いたくなることでしょう。

登美さんが早起きして作ってくれる朝ごはんも本当においしい!
これを食べるためにまた帰ってきたいと思うほどでした。

他郷阿部家 http://www.takyo-abeke.jp/
島根県大田市大森町ハ159-1
TEL 0854-89-0022
※石見銀山は環境保護のため車の乗り入れを規制している地区があります。他郷阿部家の宿泊者は駐車場が利用できますので、予約時にお問い合わせください。

撮影 SHIge KIDOUE
取材・文 山根かおり

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